「きみも大空を さんぽ できる」
月刊「ぼくら」1964年3月号 より

 

 
TOP : In march 1964, feature article of the "Bokura"magazine.
Some boy, was a fancy on experience.
(C) Photographs by H.Makino.

 まずは、2ページに渡り掲載された「きみも大空をさんぽできる」に書かれている文章を紹介しよう。

 きょうは、東京都調布市にある 伊藤忠航空輸送株式会社 の藤田さんをおたずねして、飛行機について、お話をうかがいました。たずねた人は愛読者代表の牧野くん(4年生)です。
 広い飛行機場を見わたした牧野君は「うわぁ、すごい!これ、なんという飛行機ですか」と、さっそく藤田さんに質問をはじめました。

「これは、セスナ150トレーナーという飛行機で、1機450万円もするんだよ。ふたりのりで、先生が生徒といっしょにのりこんで、操縦を教える練習機なんだ」

「ぼくも、飛行機で大空をとびまわってみたいなぁ。おじさん、ぼくにも操縦を教えてください」と、いうわけで、このセスナ機に牧野くんはのせてもらうことになりました。

 

 
Boy to receive a description of the Cessna airplane.
(C) Photographs by H.Makino.
 右の座席に先生の藤田さん、左の座席に牧野くん。

「まず、しっかり、ベルトをしめて」

「おじさん、この自動車のハンドルみたいなのは、なんですか」

「これは、操縦輪といって、下の左がわのペダルをふみながら左へまわすと機は左旋回するんだ。また、この操縦輪を前におせば機首がさがり、ひけば機首は上にあがるんだよ」

「ふううん」

「それでは、ちょっと一とびしましょう。教えるとおりにしなさい」
 藤田さんは、そういいながら
「まず、スロットル=レバーをひいて、スターター=スイッチをいれてください」と、牧野くんに教えてくれた。


                       
                         (C) Photographs by H.Makino.

 牧野くんが、そのとおりにすると、ブルンブルンとプロペラがまわり、セスナはすべるように走りだした。
スピードがぐんぐんついてきた。

「操縦輪をかるくひいて!」
牧野くんが、操縦輪をひくと、機首がぐっとあがり、セスナは空にうきあがった。

「そのまま操縦輪をもとにもどせば、水平飛行だ。どうだね、のりごこちは」

「すごくいいや、ぼくもパイロットになりたくなったぁ」 おもわず、牧野くんがそうさけぶと、

「むずかしい学科の試験にうかった人が、このセスナで、先生におそわりながら、150時間、つぎに、じぶんひとりで50時間くんれん飛行をうけて、はじめて一人前のパイロットになれるんだよ。だから、牧野くんもパイロットになるのなら、からだをきたえて、まじめに勉強しておきなさい」と、藤田さんはおっしゃった。
 
 こんな話をきいているうちに藤田さんは、セスナの機首を下にむけ、着陸のしせいをとっていた。 (おわり)

 
 いかがだっただろうか。もちろん空を飛んだという事実はない。今のように沢山の情報配信手段がない当時の子供たちは、「ぼくら」などの少年雑誌を読むことで夢をもらっていたんだなぁ〜とあらためて思った次第だ。今はこんな大うそな記事はまず書けないだろうが、「立ちション」が許された時代だからこそ許された良い例ではないだろうか。
そして、金田正太郎少年はまさしく当時の少年たちの夢を疑似体験させてくれるアバターだったのではないかと思う。
しかしながら、登場する藤田先生が自分のことを「先生」と言っているのに、少年が「おじさん」と呼ぶのはどうかと思うが・・・。(笑)


 さて、ついでながらこの「ぼくら」3月号のページを少しめくってみよう!!

 


TOP : Was released in March 1964, Let's Open the animation magazine "Bokura" for children !!
(C) Photographs by H.Makino.

 まず表紙をめくるといきなり「長嶋茂雄」登場!!当時の人気をうかがわせる。
長嶋茂雄といえば、この表紙だ。


                            

 国民的ヒーローになった巨人の長嶋は、当時、あらゆる少年雑誌の表紙を飾っていた。
「ぼくら」も例に漏れず1964年2月号の表紙に登場している。しかしながら、私はいくら物覚えが悪いとはいえ、長嶋といっしょに撮影されていたら忘れるはずがない。よ〜く見ると「な〜んだ!合成写真じゃないか!」。
まあ、合成とはいえ、当時、そして現在も人気のある長嶋と一緒に表紙に収まったことは忘れられない思い出だ。

そして、次のページはというと、やはり当時の少年たちに人気があった「切手収集」だ。私も例にもれず集めていた。丁度「東京オリンピック」の年と重なり、切手もオリンピック記念としてたくさんの切手を発売していた。

 切手のグラビアの裏を見ると、4月号の付録の予告がある。なんと来月号の付録は「自動販売機」だ!!


「これはびっくり。いままで、どこにもついたことがない大ふろくだ。さあ、きみの十円玉を入れてみよう。すてきなしなものが、ぽんぽんとびだしてくるよ」

どうも事前にガムなどを買って入れておくとそれらが出てくるという仕掛けのようだ。
また、「望遠鏡」がもれなくもらえるというオマケがあったようだ。引換券が毎月付いていてそれらを何枚か集めて応募するともらえるという仕組み。

 そして、「アトミック ゴロー」だが、あまり記憶にないマンガだ。それよりも右の「のりたま」の広告の方が何倍もインパクトがある。そう、「丸美屋の のりたま」には「エイトマンシール」が付いていたのだ。
「面舵いっぱい!!のりたま で3杯!!」のキャッチフレーズは忘れられない。

                      
                        (C) Photographs by H.Makino.



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