日産自動車は、1966年に、当時のレース車両最高技術を持つプリンス自動車を吸収合併し、その技術をすぐさま日本グランプリで開花させた。上の写真は、第1回日本グランプリで活躍したフェアレディと、60年代最後の日本グランプリを制したニッサンR382を展示し、その進歩の過程を紹介していた。
 
 プリンス自動車は、戦時中の戦闘機技術などを受け継いで、1966年まで日本製レーシングカーのパイオニアとして君臨していた。
特に、1964年の第2回日本グランプリにおいて登場したプリンス・スカイライン54Bの活躍は今も語り草となっている。
しかし、上のブルー砂子選手のスカイラインではなく、やはり式場壮吉選手のポルシェ904GTSを一度抜き去ったTETSUのスカイラインを展示して欲しかったと思うこと然りである。
そして、1966年の第3回日本グランプリで宿敵ポルシェを破ったプリンスR380も展示されていた。
 


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(C) Photographs by Motoi Hanada.