カタログの懐かしさもあるが、この日野コンテッサ・クーペの美しさはどうだろう!!
ベレット、ブルーバード、プリンススカイライン・・・。まさに、当時は個性を売る時代だった。
 私が、小学校4年生の時、担任の鈴木先生が毎日乗ってくるスバル360に、私はとても興味を持っていた。軽自動車と言えども、自家用車が珍しい時代。巨漢の鈴木先生は、スバル360に乗り降りするたびに車は大きくバウンドしてしまう。そこがまた良い!
ある日、私は急に熱が出て、鈴木先生に自宅まで送って頂いたことがある。その時のスバルの乗り心地はさすがに覚えていないが、乗れたことの喜びは今も忘れる事が出来ないでいる。
 
 なんとも懐かしい!!まず一番古いのが少年マガジンの50円当時の本。ラーメンが50円。国鉄(現JR)子供料金最低距離5円。フーセンガム5円。ハリスガム20円・・・。1963年から1965年当時である。私は、オヤジの仕事の関係で、大の少年マガジンファンであった。少年サンデーが売り上げ一番になるのは、この時代の後からである。
さらに、表紙が泣かせる!「エイトマン」「デル・コンテッサ」「紫電改のタカ」「ジェミニ宇宙船(!?)」。そして、マンガ「黒い秘密兵器」。
東映まんが祭り(!?)「狼少年ケン」。
そして、どうのように動いていたのか「トッポジージョ」。
「オーッ モーレツ!」小川ローザ!これは景品だろうか?!
GS(グループ・サウンズ)も懐かしいが、この時代の少年雑誌は、本当の意味で少年のための雑誌だった。今はどうだろう・・・・。
 
 いや〜これまた凄い! そして、よくぞ60年代スロットレーシングを忘れることなく展示して頂いたと主催者に感謝を申し上げたい。
私の頭の中には、確かに日本中がエレキブームと共に、このスロットレーシング(当時は、モデルカーレーシングとも言った)が日本中を席巻していたはず。しかし、なぜかヴェンチャーズは記憶に残り記録にも残っているのだが、なぜかスロットレーシングは忘れ去られてしまっている。
 スロットレーシングは、イギリスで鉄道模型の発展した形で生まれ、その後アメリカで改良され1963年頃からブームとなる。日本に伝わったのは1964年頃からで、一部のマニアが見まね物真似で手作りから始めたのが最初。1965年にアメリカのレベル製スロットカーなどが輸入されてから急激にブームとなり、なんと1年間に、100箇所以上のスロットサーキットが日本に誕生するという凄まじさだった。数多くの小学生から大人(当時の本物のドライバーであるTETSUやミッキーカーチス、望月 修などは本当にこのブームで遊んでいた)がサーキットに通い、スロットレーシングは室内スポーツとして発展していくものと思われていた。
しかし、エレキブームと同様、小学生、中学生のサーキット出入りによる不良化(!?)が問題となり、PTAと学校側は学生のサーキットへの立ち入りを禁止してしまう。同時に、金銭負担が当時の少年たちでは無理だということや、一部のマニアがレースで勝ち続けることによるスロットレーシングの本来目指していた姿と違う方向に進んでいってしまったなどの理由で、いつしかスロットレーシングはその勢いをなくし、消えていくことになる。しかしながら、スロットレーシングは60年代の花であったことは間違いない。
 


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(C) Photographs by Motoi Hanada.