"TETSU IKUZAWA" この名前を聞いて胸躍る世代は私と同世代から上の方々だろう。
1960年代の日本グランプリを語る上で、生沢 徹の名は欠かせない。それほどTETSUの人気と実力は他のドライバーを圧倒するものがあったのだ。
 当時のプリンス自動車のワークス・ドライバーの座を蹴って、単身イギリスにドライバー修行に旅立ったのが1966年。その後の活躍は、古い日本モータースポーツファンの皆さんならご存知のはず。まだ海外への外貨持ち出しが自由でない時代、TETSUは、日本人として初めて海外のレースに参戦し、1967年にはイギリスF-3レースで優勝を飾っている。1日3連勝することもあった。
第4回日本グランプリでは、ポルシェカレラ6を駆って、宿敵ニッサンを撃破。それをジャンピングボードとして、1968年には、ワークス・ポルシェのドライバーとしてワトキンスグレン6時間レースに参加するという快挙も達成している。
 当時のTETSUの人気は、絶大なものであった。AUTO SPORT誌における人気ドライバー投票では、71年までトップを独走。さらに、モータースポーツ界だけに止まらず、TETSUのクールな生き方が、若者のファッションや思想にも影響を及ぼしていたことも忘れる事が出来ない。
そんなTETSUが、当時のファッションメーカーVANと協力して作り上げたイメージが、上の写真である。ドライビングスーツからドライビングジャケット、グローブ、シューズなど、チャレンジ精神満載のTETSUアイテムは当時の若者の羨望の的であった。
 TETSUのレーシングカーの横に張られた「VAN」「PEPSI」「RACING MAITE」は、あまりにも強烈なイメージを我々に植えつけたし、丹頂鶴と白地に日の丸のカラーリングは、ホンダF1と共に我々の青春の証しと言えるほど心燃え上がらせるものだった。
 


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(C) Photographs by Motoi Hanada.