(C) Photograph by Yoshiyuki Tamura.
 INGING MOTORSPORT監督:鮒子田 寛 36年振り TOYOTA-7 5Lモデルで快走!

2005年11月13日 トヨタ・モータースポーツフェスティバルin富士スピードウェイ2日間密着レポート

レポート&写真 田村吉幸 
 
 去る11月13日、新生 富士スピードウェイでトヨタ・モータースポーツフェスティバルが開催されました。
このお祭りで、鮒子田選手が36年の時を経て、トヨタ7をドライブするとの情報を得て、前日の走行テストからの密着取材を敢行しました。

思えば1968年、鮒子田選手がトヨタ7-3Lモデルを駆り、鈴鹿、富士の耐久レースで数々の優勝を成し遂げていた頃、私は中学生でした。当時、自分の力ではサーキットに行くことが出来ず、オートスポーツ誌やカーグラフィック誌を見ては、スロットカーにのめり込んでいました。
 この頃、私の中では「鮒子田寛こそが日本NO.1のドライバー」だと思っていました。そして、それを確信したのは、1970年日本CAN-AMにおいて、マクラーレン・トヨタ5Lで予選2位を獲った時でした。


TOP : Hiroshi Fushida and his McLaren Toyota at Fuji in '69 Japan Can-Am.
Special thanks Auto Techic.

TOP : #5 McLaren Toyota with Hiroshi.
Special thanks Motor World.

TOP :McLaren Toyota gots a 2nd position in '69 Japan Can-Am's qualify.
Special thanks Motor World.


TOP : Winner Hiroshi Fushida in '69NET Speedcup Race.
Special thanks Sanei-shobou Auto Sport.

TOP : Hiroshi gots a win in '69 Fuji 1000Km race with Toyota 7 V8 5000cc.
Special thanks Sanei-Shobou Auto Sport.
 そして今、36年の時を経て、鮒子田選手がドライブするトヨタ7を見たいという、私の思いが叶うその時がやってきたのです。

<11月12日 9:35AM>

 前夜からの雨が朝には上がり、急速に天気は回復してきた。コース上はいまだウェット状態であるが、急速に乾き始めていた。

新調したレーシングスーツに身を包み、颯爽と登場。ヘルメットのデザインは1970年当時のままである。

すぐにメカニックと打ち合わせ、シート合わせを済ませる。
一段落した様子を見計らってインタビューを試みた。

――36年振りにトヨタ7に乗る直前の心境は?

 鮒子田 「36年振りといっても、レーシングスピードで走る訳ではないので、どうって事はないよ。ギックリ腰にならないように気をつけないとな」
私たちファンがワクワクドキドキの興奮状態であるのをよそに、意外なほど冷静な様子。

<10:00AM>

 いよいよ、ドライバー鮒子田寛がトヨタ7のコックピットに乗り込む時がやってきた。
コースはいまだウェットコンディションであった。メカニックがレインタイヤに交換を始めた。

メカニック 「まだウェットなので、レインタイヤに替えました。車のチェックをしますので、1周してピットに戻ってください。」

鮒子田 「OK!ゆっくり走るよ。」

   各部をチェックしてピットに戻る。

メカニック 「いかがですか?」

鮒子田 「路面が濡れてるので、ゆっくり走った。問題ないよ。」

メカニック 「10分休憩して、タイムアタックします。」

鮒子田 「エンジンは、MAXどこまで?」

メカニック 「MAX6000回転でお願いします。」

鮒子田 「MAX6000、OK、了解。」

<10:30AM>

 本日2回目の走行。タイムアタックに入る。エンジンを6000回転に押さえているとはいえ、ストレートで200km/hはオーバーしている。2周、3周と快調に周回を重ね、4周終了してピットに入り、本日の走行テストを終了した。

鮒子田 「シフトダウンの時にミッションが引っかかる。アップの時は良いのだが。」

メカニック 「点検しておきます。」

鮒子田 「ステアリングの遊びが多すぎて、ストレートで安定しないが… ストレートで6000回転まで回していると振動が多いが、回転を上げれば直るでしょう。」

メカニック 「了解しました。これから全部点検しておきます。」

メカニックがカウルをはずして点検作業に入る。




<本日の走行テストを終えて>

――2回に分けての走行を拝見して、36年振りとはとても思えませんでした。

鮒子田 「この程度のスピードでは問題ないよ。スタートもうまいでしょ!ターボ付の車は難しいけど…」

――1969年日本GPのトヨタ7 5Lと比べていかがですか?

鮒子田 「レーシングスピードで走っていないので比較は出来ないが、エンジンパワーは上がっているだろうね。この車の方がウィングが大きいからリアのダウンフォースも強いよ。」

――1969年には30度バンクもありましたね。

鮒子田 「そうだね。約310km/hでバンクに入っていったわけだから、今考えると、よく乗っていたよな。今日乗った車も36年前の車とは思えないほど、良く仕上げてくれている。ドライバーにとっては有難い事だね。」

こうして、テスト走行を終了し、明日の本番に向けてうち合わせのため、ミーティングルームへと消えていった。
 

<11月13日 トヨタ・モータースポーツフェスティバル>

 晴天の富士スピードウェイ。グランドスタンドには約3万人の観衆が、詰めかけていた。サーキット周辺は、イベントを見たいというファンで渋滞していたようである。
この日、鮒子田選手は早めに入り、準備も万端。TEAM TOYOTAのそうそうたるメンバーが揃って、話が弾んでいるようであった。

<10:30AM ウェルカム・セレモニー>

 朝から、ヴィッツやアルテッツァレースが行われてきたが、いよいよメインイベントの幕開けの時がやってきた。
各カテゴリーでトヨタを駆る名だたるドライバー達が顔を揃える中、今季スーパーGTでシリーズチャンピオンになった立川・高木の両選手等と談笑する場面も見られた。



TOP : Team Toyota and Toyota's drivers.

<10:45AM>

 セレモニー終了後、いよいよ鮒子田選手がトヨタ7に乗り込み、走行披露する時がやってきた。
 

コースイン直前、コックピットの鮒子田選手に聞いてみた。

――本番コースイン前の心境はいかがですか?

鮒子田 「何ともないよ。」

――緊張しませんか?

鮒子田 「全然!レースする訳じゃないから。奥さんに『ケガしないように』って言われてるから。」

――スリックタイヤが冷えていますから、1周目は気をつけてください。

鮒子田 「了解!」

 さすが、世界を渡り歩いた鮒子田選手、全くもって冷静でありました。

<10:50AM> 

いよいよコースイン。

 今日もスタートは完璧。滑るようにピットを飛び出して行く。
エンジンの回転数は今日もMAX6000回転。2周目のストレートで、NAエンジンの甲高い音がコースに響き渡る。前日よりエンジンを回しているようだ。
鮒子田選手は走り出す直前に「今日は天気が良いので、サンデードライブ。」と話していたが、徐々にペースが上がって行く。そして、3周の周回を終え、一緒に走行していたTS010、トヨタ・スポーツ800とペースを合わせ、デイトナ・フィニッシュでチェッカーを受けた。

鮒子田 「無事に終わりました。ありがとう。」

メカニック 「良かったです。有難うございました。」

こうして、36年振りの走行が終了した。

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 この2日間は私にとって、当時テレビや本でしか見ることが出来なかった鮒子田トヨタ7を目の当たりにし、夢のような時間を過ごしました。1969年日本グランプリ・日本CAN-AMをご覧になった方々にとっても、格別な思いがあった事でしょう。
今回のリポートは、何よりもまず臨場感を重視して書いたつもりです。ピット内の雰囲気をお伝えすることが出来たでしょうか・・・。
密着取材をさせていただきました鮒子田監督をはじめ、スタッフの皆様にはこの場を借りましてお礼を申し上げたいと思います。有難うございました。

私の中での「NO.1ドライバー鮒子田 寛」。インギング・モータースポーツ監督としてチャレンジ・スピリットはまだまだ続きます。
 

END



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(C) Photographs, report by Yoshiyuki Tamura.

Special thanks Hiroshi Fushida & Team Toyota.

Special thanks Snei-shobou Auto Sport.