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最初のコメントは、1973年発行のAUTO TECHNIC誌8月号に記載されていました「世界のヒノキ舞台、ル・マンに感動 ル・マン出場ドライバー・鮒子田 寛」より鮒子田 寛氏のコメントを引用抜粋させて頂いたものです。
生沢 徹氏と共に、日本人として初めてル・マンを走った鮒子田 寛氏の文章は、誠に感動に満ち溢れています。映画「栄光のル・マン」でしか知らなかったル・マンの裏表を初めて感じた氏だからこそ書けた内容ではないでしょうか。 そんな鮒子田氏と現在私は個人的にお付き合いさせて頂いていることを考えましたら、本当に感激ものであり、また幸せであるとつくづく感じるこの頃であります。さらに、今年からMSLのCAN-AMシリーズになんと氏の名前をお借りして「Hiroshi Fushida Cup」という名前で運営させて頂いている現実を思うと本当に感無量です。 現在、鮒子田氏は、全日本F3選手権において「Inging Motor Sport Team」の監督をされており、成績はというと、驚くなかれドライバー/チーム共に現在首位に立っているのですから凄い!!なんとか今年は総合優勝して頂きたいと思っている次第であります。頑張れ!鮒子田 寛監督!! さて、次のコメントは、日本人モータースポーツカメラマン兼モータージャーナリストのパイオニアとして、私たちに多大なる影響を与えて頂いた“恩師”というべき「ジョー・ホンダ」氏のものであります。内容は、1971年1月号「AUTO
SPORT」誌、および、氏の著作本「F1サーカス放浪記」より、内容を引用抜粋させて頂きました。
ル・マンとは・・・。両氏の言われるとおり“お祭り”であり、“国を挙げての一大行事”でもありました。そして、当時のマニファクチャラーズ選手権についてジョー氏は「確実に、F1より人気がありましたよ」と言われるとおり、「プロトタイプカー&スポーツカーレース」は当時の“花形レース”だったわけです。
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(C) Photographs
by Joe Honda.
Special thanks
Hiroshi Fushida.