ジムホール氏:怖そうに見えて・・・・

 2日目はいよいよホール氏との対面です。ホテルで朝食を取り、博物館をまた見学。昼はテキサスを知ろう第2段ということでメキシコ料理に行きました。メキシコ料理は意外や豆を中心としたもので、日本人の口にも良く会いました。このツアー、振り返るとグルメツアーと呼べる位、食べたものは美味しいものばかりでした。

さて、いよいよホール氏と対面の時がきました。場所はあのシャパラル・カーズ。写真でしか見たことないあの建物です。着くと、当時そのままの建物が目の前に現われました。駐車場もそのままの状態です。見張りの番犬が居ないのと、止まっている車が現代のものなの以外は、まさに60年代のあの光景そのものです。オフィスに入ると、秘書らしき女性がせっせと業務をしており、その奥の応接室からホール氏が迎えてくれました。ホール氏は想像通り背が高く、ガッチリした体型の人でした。とても気さくな方で、日本からの訪問を大変喜んでくださいました。オフィスにはモデラーズのプラモデルが今日の訪問に備えてちゃんと飾ってありました。そうした所にホール氏の人柄が良く現われている気がしました。挨拶もそこそこに、大量のサインをして頂くことになりました。「これイーベイに流すの?」とかジョークを言いながら、大量のサインをホール氏は嫌な顔一つせず快く引き受けてくれました。


TOP : The Chaparral Cars in 2004( Leftsede) and Jim Hall.
(C) Photograph by Masayuki Yamada.

TOP : The Chaparral Cars in 1970 by AUTO SPORT.

 サインの後、少々の質疑応答を行い、今度は乗ってきたレンタカーでラトルスネーク・サーキットをドライブしてくれる事になりました。レーシングカーのメカニズムについて疎いので、良く分からなかったのですが、スキッド・パッドと言う今で言うスピンターンのようなものをテスト出来る施設を1970年代以前からラトルスネークには有り、そこでその実演をしてくれた後、サーキットを1週しました。サーキットはさすがに草が伸び放題の状態でしたが、ここでシャパラルのテストが行われたかと思うと、感激ものでした。サーキット走行の後は施設見学でした。トロフィーの納められた部屋、エンジンのテストを行った部屋、材料加工とその機材が置かれた部屋等、色々有りましたが、シャパラル以外のレースカーが納められた部屋が有りました。そこには戦前のクラッシックカー、(車種不明、多分アメリカ車と思われます)から、兄弟から貰ったというジャガーSS100、フェラーリ750モンザ、ペンズオイルカラーのレイナード・インディカー、ロータス24BRM、と壮絶な車がおいて有りました。


TOP : Mr.Hall's collections.

TOP : Jim Hall and I. It's great !!

(C) Photograph by Masayuki Yamada.

 見学の後、夕食の約束し、暫くのお別れとなりました。
夕食までは再び博物館に戻り、最後の閲覧とお土産の買い込みの時間となりました。お土産はたった一日で博物館半年分の売上げが有ったらしく、感動したお店の人が、少しプレゼントをくれました。
 


TOP : 1/43 Chaparral 2G & Hall's sign.
(C) Photographs, modeling by Masayuki Yamada.

TOP : Chaparral post cards.
 夕食はイタリアンで、ホール氏に質問をしながら、和気藹々と行いました。色々な質問が飛び出しましたが、その中から印象に残ったのをピックアップしたいと思います。

Q:シャパラルに雇ったドライバーの中で最も腕の良かったのは誰か?
A:ジャッキー・スチュワートだ。次にマイク・スペンスも素晴らしかった。
Q:マイク・スペンスは何時シャパラルに乗ったか?
A:1967年のBOAC1000kmだ。
Q:ジョン・サーティースについてはどうか?
A:ワールドチャンプになった人だし、才能はあったと思う。だが何故自分のチームではその才能を発揮してくれなかったかが疑問だし、残念だ。だからといって、個人的に恨んでいるとか、そういう事はない。
Q:何故シャパラルは白いのか?
A:写真を撮った場合、ボディシェイプが良く分かってカッコイイからだ。黒や青だと車の形が良く分からないだろ?
Q:何故66番と言う車番なのか?
A:特に深い理由は無い。ただ、これには隠れたストーリが有る。1958年のナッソーの話だ。私はロータスに乗っていたが、プログラムを見ているうちに車検委員が車体にペンキで66のゼッケンを書いてしまった。翌年アメリカ大陸に戻ってからもそのゼッケンでレースをせざるを得なかった。
Q:そのロータスとはF1で使ったフォーミュラーカーなのか?
A:いや、ロータス・イレブンだ。
Q:1966年のラグナセカの話を聞かせて頂きたい 
A:何故?
Q:あのレースは2ヒートで、1ヒートで優勝、2ヒートはパーネリ・ジョーンズが勝ったが、総合でフィル・ヒルとワンツーを決めた。ところが、(あなたの)レース後の表情が冴えなかったのは何故か?(下記写真)
A:思い出した。あのレース、2ヒートの途中でイエローフラッグが出た。私達はペースを落したが、パーネリ・ジョーンズがその横を抜いて行った。イエローフラッグ中であるにも関わらず、だ。しかも、パーネリはペナルティを受ける事無くそのまま優勝してしまったのだ。
Q:それは知らなかった。永年の謎が解けた。
A:私にとっては不愉快な話だが、貴方は謎が解けて幸せそうだね(笑)


TOP : Winners team's Jim and Pill at Leguna Seca in 1966.

Q:ロジャー・ペンスケはどう言う人物だったか?
A:才能が有った。ドライバーだけではなく、マネジメントから、レース以外のものまで。とてもいい人物だ。
Q:COXと言うメーカーについて聞かせて欲しい。
A:大変律儀な会社で、スポンサーになってもらった折にも、お金をかなりしっかりと支払ってくれた。いいパートナーだったと思う。
Q:気に入っている車はどれか?
A:戦績等も含めて総合的に言えば2Eだ。しかし、個人的に一番思い入れがあるのは2Hだ。


TOP : Chaparral 2Es in 1966.

Q:2Hはナロートレッドが欠点だったと思われるが、それについてはどうか?
A:そのとおりだ。2Jのような思想が無ければ、ワイドトレッドの2Hで1970年のカンナムを戦うつもりだった。
Q:模型で作りたいからその図面のコピーを頂けないであろうか?
A:残念ながら図面は無い。全てのシャパラルに図面は無い。粘土を手作業で削って模型を作り、それを実物化するという方法で全てのシャパラルは作られている。


TOP : Chaparral 2H ( Inside) and 2F ( Back).
(C) Photograph by Masayuki Yamada.

他にも色々と質問は有りました。あっという間に時間は来てしまい、ホール氏は最後に参加者全員と握手をしてくれ、自分の車でオフィスへと帰っていかれました。この後、ネバダ州ラスベガスでもう一泊し、大豪遊し、豪華な中華料理と共にツアーを振り返り、日本カンナムやエバカンナムの話で盛り上がった後、日本へと帰国するという内容で幕を閉じました。

 ツアーを振り返ると、シャパラルだけでなく、そのファクトリーに潜入できたところや、インタビュー、サインの際に主催者が上手く率先してくれた点、更には「異文化を知ろう」と言いつつも、いつも美味しい料理が出てきた点等、全体的にレベルの高いツアーだったと思います。また、少人数で行けたのも良かった点だと思います。個人的には主催者のM氏と模型業界やビジネスの話が出来た点や、3日目のラズベガス等も大きな収穫となりました。次回開催の予定は不明ですが、また是非行って頂きたい内容です。
 


TOP : Chaparral 2H.
(C) Photograph by Masayuki Yamada.

END



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(C) Photographs, textreport by Masayuki Yamada.